プロフィール
名前 | 山本“KID”徳郁 |
生年月日 | 1977/03/15 |
出身 | 神奈川県 川崎市 |
身長 | 162㎝ |
階級 | -61㎏ |
■神の子
その強さとカリスマ性から「神の子」のと呼ばれた。派手でアグレッシブなファイトスタイルは多くのファンを魅了し、魔裟斗との一戦は視聴率31.6%を記録した。階級が上の相手にもKOを連発し、HERO’Sの初代ミドル級王者に輝いている。
■ド派手なファイトスタイル
野性的でアグレッシブなファイトスタイルが特徴。小柄ながら大きな選手相手にド派手なKO勝利を飾り、多くの人気を集めた。宮田和幸戦で見せた開始4秒KOは当時の世界最速記録である。怪我に悩まされキャリア後半は敗戦も続いたが、41歳で亡くなるまで人々を魅了し続けた。
戦績
総合格闘技

※2試合は無効試合
勝利した18試合のうち13KO、2回の一本勝ちを収めており、試合決定率が非常に高い選手である。
キックボクシング

勝利こそできなかったが、魔裟斗との一戦は10kgの差を押しのけ先制でダウンを取るなど活躍を見せた。
直近の試合結果

獲得タイトル
■総合格闘技
●全日本アマチュア修斗選手権 ライト級優勝
●HERO’S 初代ミドル級王者
■レスリング
●全日本レスリング学生選手権フリースタイル58kg級 優勝(1998・1999年)
●内閣総理大臣杯全日本大学レスリング選手権大会 優勝
来歴
●1977年3月15日 神奈川県川崎市で生まれる
●1998年8月27日 全日本レスリング学生選手権フリースタイル58kg級 優勝
●2001年3月2日 総合格闘技転向 修斗でKO勝ち
●2004年2月24日 K-1初参戦 村浜武洋にKO勝ち
●2004年12月31日 魔裟斗と伝説の一戦 判定負け
●2005年7月6日 HERO’S初参戦 イアン・シャファーにTKO勝ち
●2005年12月31日 HERO’S初代ミドル級王座 戴冠
●2006年5月3日 宮田和幸に開始4秒でKO勝ち
●2006年7月23日 レスリング復帰 オリンピックを目指し格闘技を休止
●2007年9月17日 総合格闘技復帰
●2009年5月26日 DREAM初参戦 ジョー・ウォーレンに判定負け
●2011年2月5日 UFC初参戦 デメトリアス・ジョンソンに判定負け
●2015年12月31日 チャリティーイベント「NIPPONFIGHT」で山本”KID”徳郁と再戦
●2018年9月18日 癌により息を引き取る
■概要
父親はオリンピック選手の山本郁榮。KIDも幼少期からレスリングに親しんでおり、全日本大会優勝など輝かしい成績を残している。姉・美憂、妹・聖子はレスリング世界選手権を制覇、またダルビッシュ有を義理の弟として持つ。
61kgをベスト体重としながら70kgの階級でも活躍し、チャンピオンにも輝いている。野性的で殺傷能力が高く、小柄ながら自分より重い選手を相手にKOを量産してきた。
常に挑戦者の気持ちを忘れず、入場も可能な限り青コーナーを選択している。
愛のある人物としても知られており、家族や仲間から深い信頼を得ている。線路に落ちた男性を助けたこともあり、そういった人間性もKIDの大きな魅力である。
ファイトスタイル

■必殺の右フック
KIDの最大の武器は右フックである。豪快な踏み込みから打ち込むこともあれば、カウンターとして相手に合わせる技術も高かった。「総合格闘技界とキックボクシング界の両方を通じてナンバーワンの右フックの使い手はKID」と言われることもあった。
■アグレッシブなストライカー
レスリングをバックボーンに持ちながらテイクダウンに行くことはなく、パンチを主体とするストライカーのスタイルだった。ムエタイ好きも公言しており、試合にムエタイの技術を取り入れることもあった。163cmの小柄さを補う踏み込みの速さでKOを量産した。
映像
「忘れてたまるか 山本KID徳郁」
まとめ
いかがだったでしょうか。
KID選手は圧倒的なカリスマ性があり、多くの格闘技ファンを魅了してきました。
格闘技をあまり詳しくない人でも、名前は聞いたことがあるという方も多いのではないでしょうか。
この記事を読んで、KID選手の魅力が少しでも伝わっていたら嬉しいです。
他にもレジェンド選手を紹介している記事を書いていますので、気になる方は是非チェックしてくださいね。
以上、山本KID徳郁選手の選手名鑑でした!